志楽トピックス

福沢諭吉はお風呂屋(銭湯)を経営していた!

2018年8月3日 ニューズレター
志楽ニューズレター第十七号

福沢諭吉はお風呂屋(銭湯)を経営していた!

尖石の湯の近くに福沢家のルーツがあった。

 

1.福沢諭吉と風呂ビジネス

一万円札の顔にもなっている明治の偉人、福沢諭吉が、明治時代の初期にお風呂屋(銭湯)を経営していたことは、あまり知られていません。

 

「公衆浴場史」(全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会、1972年)によると、明治八、九年頃に福沢は、慶応義塾の向かい、(東京港区)三田通りにあった湯屋を譲り受ける形でオーナーになったとのことです。一ヵ月、十円五十銭の揚銭(家賃)でお風呂屋に貸していたそうで、福沢本人が番台に座ることはなかったようですが、近所の住民や慶応義塾の塾生、三田付近に住む下宿生をはじめ様々な人々が五厘で利用していたといわれています。

 

福沢は、自由平等論から職業に貴賎はないと説き、その垂範として自ら銭湯を経営したといわれています。そして、銭湯の入浴や経営の経験から、人々に自由平等を説明するために「私権論」という論文に、次のような一説を記しています。

 

「銭湯に入る者は、士族であろうが、平民であろうが、みんな等しく八文の湯銭を払い、身辺に一物なく丸裸である。また同じ湯槽にはいっているではないか。それなのに、どうしてか、平民は士族の人に旦那、旦那と尊敬してよび、士族は平民の人たちを貴様、貴様と軽蔑しても、平民はただただ恐縮しているのはなぜか。銭湯の入浴には、なんら上下の区別なく平等であり、かってにはいっても、出ても自由である。」

 

また、ある日、松永という学生が福沢に卒業後の進路について相談したところ、福沢はすぐさま「銭湯の経営をするがよい」と言ったそうです。この学生は、後に電力王といわれるほど日本の電力開発にとっても貢献した松永安左エ門でした。

 

実際には、松永は福沢の指示とは別に電力開発の道を突き進むのですが、考え方によっては、公衆浴場において、照明から給水、ろ過装置、気泡装置等に至るまで、電力を使用しないものはないので、銭湯経営に直接にはあたらなかったといっても、間接的には経営にあたったといえるかも知れません。

 

また、福沢は、入浴中に人に自分の子どものしつけ方について、次のように語っていました。「そのしつけかたは温和と活発とをむねとし、たいていのところまではこどもたちの自由にまかせる。たとえば、ふろの湯はあつくして無理に入れるようなこともせず、すえぶろのそばに大きな水おけをおき、こどもの勝手しだいにヌルクともあつくもさせる。まったく自由自在のようなれども、さればとて食物を勝手にまかせて、なん品でも食い放題にするというわけではない」(福翁自伝)。

明治中頃の三田通り

 

2.福沢諭吉の先祖は信州の出身だった。

福沢諭吉が明治6年(1873)東京三田の龍源寺に福沢家の墓地を新設した際に立てた記念之碑に「福澤氏の先祖は信州福澤の人なり。……」という記述があります。また、「福澤家系図」にも、「福澤氏其祖住信州福澤其間年月世次不詳或小笠原氏に仕と云」という書き出しの後、最初の人物について「高祖福澤積善、兵助と号す。妻、詳かならず。豊前中津下正路浦に住す。其の祖は小笠原氏に仕う。」と書かれています。

 

このことから、福沢諭吉の祖先は信州・長野県の福沢(地名)という土地の出身であり、甲斐・信濃の豪族で後に豊後の中津藩主となった小笠原氏に仕えていたらしいということがわかりました。

 

茅野市出身の俳人・小平雪人 ( せつじん ) (1872~1958)は郷土史家としても有名で、当時諏訪郡豊平村福澤の芋いも倉という所に善徳屋敷と呼ばれる住居跡があり(現在の茅野市中大塩)、ここに福沢氏の祖先である積善が住んでいたのではないかという説を発表しました。その場所(中大塩諏訪神社内)には、「福澤諭吉先祖之旧跡地」と刻まれた石碑が建っています。

石碑の裏面には「旧跡地の由来」として、上述のような文章が刻まれています。その中には「大正十五年福沢家ヨリ当地ノ豊平小学校へ福沢諭吉全集一〇巻が寄贈サレタ。」という一文があります。

 

ただ、福沢という地名は今までのところ、茅野市以外にも当時の諏訪郡長地村、諏訪郡上諏訪村、下伊那郡生田村、東築摩郡塩尻町、上伊那郡伊那村、上伊那郡東箕輪村、小県郡前山村、上水内郡富濃村、上高井郡仁礼村、更級郡村上村の十一箇所あることがわかっています。この十一ヵ所のうち、どこが本当の出身地なのか、諸説ありました。

 

最近の研究では、静岡県立大学の平山洋助教(慶應義塾福沢研究センター客員所員)が、その著「福沢諭吉先祖考」(常葉叢書[Kindle版]、2014)の中で「二十一 信州国福沢とはどこなのか~暫定的結論」として「…、消去法によってではあるが、福沢諭吉の先祖の出身地は、やはりこの茅野の福沢が最有力候補となる。」と述べています。

 

その場所は、現在の茅野市豊平の中大塩諏訪神社で、石碑が立っています。同じ豊平にある尖石(とがりいし)の湯から車で15分くらいの所にあります。(地図・写真参照)

 

[参考文献]
『公衆浴場史』(全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会、1972年)
『小平雪人』(小平雪人著・小平鼎編 甲陽書房 1976)
『信州と福沢諭吉』(丸山信著 東京図書出版会 2005)
『考証福沢諭吉 上』(富田正文著 岩波書店 1992)
『福沢諭吉先祖考』(平山洋著 常葉叢書[Kindle版]2014)
『地域は歴史で豊かになる 福澤諭吉の先祖の地、茅野市福沢』(藤森三男 長野日報 2010年12月15日号)

 

 

志楽ニューズレター 第十七号 2014年8月20日発行

企画:グループダイナミックス研究所

発行所:志楽ダイナミックス