志楽トピックス

今なぜ、矢向に化石海水か

2018年8月3日 ニューズレター
志楽ニューズレター第十六号

今なぜ、矢向に化石海水か

都会に縄文の森とほっとする空間を

-かわさきFMのトーク番組で「志楽の湯」を語る-

 

昨年12月26日(木)に放送された「かわさきFM」のトーク番組「新川崎*鹿島田ハッピータウン」に、グループダイナミックス研究所代表並びに志楽の湯代表の栁平 彬 ( さかん ) 代表が出演し、「志楽の湯」開業に至る経緯やその理念、特徴などについていろいろ語りました。今回は、その概要を紹介します。

(聞き手:かわさきFMパーソナリティー 庄司佳子さん)

◆工場跡地をどう生かすか、思い悩んで原点に戻った。

―「志楽の湯」は開業して8年になるそうですが、住宅街の真ん中に温泉を掘られたいきさつなどについてお伺いします。

 

栁平: 現在の「志楽の湯」の土地には、かつて「タカラ工業」という主に半導体のテストを行っていた工場がありました。その隣には、1981年に設置した川崎生涯研修センターという研修所があります。そこでは、企業の社員向けに様々な研修事業を行っています。AIA(Adventure In Attitudes:心のアドベンチャー)というプログラムを中心に、私たちが持っている潜在的な力をどうやって活かすか、内発的なやる氣を起こすトレーニングを続けてきたのです。今までやる氣というのはインセンティブ、すなわち地位や給与といったもので起こしていましたが、そうではなくて、本来自分自身が持っている潜在的な力をどうやって発揮していくか、そのために人生の目的や志こころざしのようなものをより明確にしていく、それをグループダイナミックスという方式で行います。グループダイナミックス方式とは、簡単にいえばグループによる相互啓発ですね。AIAでは全部で74のプロジェクトと900以上の質問がありますが、それをグループでディスカッションしていきながら、意識変革を起こしていくという研修を長年やってきているのです。
ところが、1990年代後半、タカラ工業の親会社がアジアシフトに転換したため、そのあおりを受けて、半導体テスト等の事業から撤退を余儀なくされたのです。当時川崎から相当数の中小企業が消えていったと思います。その後、跡地をどうしようか、1,500坪の工場跡地をどう活かしたらよいか、悩みました。
一方、研修事業の方も、この20年間は大変厳しい環境にありました。どの企業もリストラに忙しくて、人づくりの方に予算をさかなくなってしまったからです。とても研修施設を拡張するような余裕はありませんでした。悩んだときはどうしたらよいか、登山家などに聞くと、「道に迷ったときは元に戻れ」と言います。そこで、原点に戻ってみようということで、戻り過ぎかも知れませんが、一万年ほど前から続いた縄文時代まで戻ってみたのです。

 

◆日本人は、縄文的な発想で危機を切り抜けてきた。

―ずいぶんと大昔まで戻られたのですね。

 

栁平: マクロな話になりますが、現代文明は1517年の宗教改革から始まったと、ある私立大学の学長が言っていました。その現代文明を支えた特長として、民主主義、資本主義それも金融資本主義、科学技術の3つが挙げられます。ところが、この3つとも今壁にぶつかっています。だから、失われたこの20年の間、日本も閉塞状態に陥っているのです。便利さと効率を追求してきた人類がひとつの壁にぶつかっている難局をどうやって打開していくか、そこで、ひとつ“縄文”に戻ってみようと思い立ったのです。というのは、縄文の心とは、実は和の原点、日本のオリジンなのです。これが今でも生きているのです。今までの歴史を振り返っても、日本が危機に面したときは、たいてい縄文的な発想で切り抜けてきたといえるでしょう。

 

―縄文的な発想とは、どのようなものなのですか。

 

栁平: 一言でいえば、企業家的な発想のことを言います。それに対して、弥生的な発想というのは官僚主義に近いものがあります。縄文的発想では、目標達成ではなく目標創造を重視します。5,000年ほど前の縄文中期の土器で初めて日本人の独創力が発揮されたと岡本太郎氏が言っていました。今、企業の中では、目標達成のノルマに追われて社員は大変です。心身すり減らすばかりで、やる氣が起きない。新しい目標を創造していくには、頭の使い方を変える必要があるのですが、残念なことに、自分で目標を作り上げていく力が日本人の心の中から失われているのです。
それを、もう一度蘇生させていく、そういう場として研修センターがあるのですが、研修というものは頭を使うので、精神的にも結構疲れるものです。その疲れを癒し、げん氣を出してもらうには、日本人が大好きな温泉が一番なのではないかと考えて、温泉施設を造ろうとした次第です。

 

◆和の原点、縄文の心を形にする。

―そして、期待どおり温泉が出たわけですね。

 

栁平: 地下1,300メートル掘って、数十万年前に地中に閉じ込められていた海水にまわりの岩や石のミネラルや草木の成分が溶け込んでできた化石海水のお湯が湧き出たのです。

 

―縄文時代には、「縄文海進」といって、今より内陸部まで海岸線が寄せてきていたので、このあたりは海だったわけですね。

 

栁平: 縄文後期頃から徐々に現在の海岸線に近づいてきて、陸地からやがて森になったと考えられれます。
温泉施設を造るにあたり、ここもかつては縄文の森だったはずだと思い、まず縄文の森の設計図を作成しました。そして、縄文の心をどう表現するかということで、八ヶ岳山麓から安山岩を230トン運んできました。5千年前、八ヶ岳の南麓には日本の総人口の15~20%が住んでいましたから、八ヶ岳山麓の南面はまさしく縄文の郷なのです。
また、九州の飛竜野山頂からコナラを中心とした自然木を持ってきて植えました。コナラというのは、木肌が非常に男性的でダイナミックな感じがしますが、葉っぱは女性的でやさしい。コナラの他にもいろいろな常緑樹、広葉樹、高木、低木を織り交ぜて、全体で800本くらいあります。さらに、駐車場もアスファルトではなく、ウッドチップを敷いています。地球を封じ込めるのはやめて、地球が呼吸できるようにしようと思ったからです。

 

―環境にも配慮しているのですね。温泉の泉質はどのようなものですか。

 

栁平: 化石海水なので、塩化物イオンやナトリウムイオンなどの成分の濃度が高く、身体の芯までよくあたたまります。おかげでぐっすり眠れて、夜中に起きないですむという感想が多くのお客様から寄せられます。また、化石海水は現在の海水より人工的な汚染が少ないので、目にかけても痛くありません。目にかけるとすっきりするというお客様の声もよく聞きます。

 

―露天風呂にも特徴があるそうですね。

 

栁平: 黒川温泉の後藤哲也さんが「石は見せるものではない。そこからエネルギーが出ているのだから、下に敷こう」と言われたので、各々の石全体の3分の1くらいを地表に出して、残りは地中に埋めました。普通は、入浴されたお客様がつまづかないようにお風呂の底は平らになっていますが、私どもの場合は、露天風呂に入っていくと、中にも石があって、皆さんかなり驚かれます。でも、そういう驚きを感じながら入っていってほしいのです。昔、縄文時代には、木を掻き分けて森の中に入っていき、温泉に入っていったことでしょう。今は、驚きや感動がなくなってしまった気がします。なので、そういう部分を露天風呂の中に残したかったのです。
それから、八ヶ岳山麓の地域には古くから御柱というお祭りがありまして、その御柱に見立てた柱を内風呂の中に立てて、縄文的な雰囲気を醸し出しています。また、洗場の横の内湯に行くまでの道には、縄文模様を表現するために縄を使って模様をつけて、足の裏を刺激できるようにしています。これを「縄文道」と名付けています。

 

◆昭和の雰囲気を残した矢向の街を世界の人が訪れてほしい。

―川崎は、今大きく変わろうとしています。志楽の湯がある矢向の街が、これからどんな街になってほしいと思われますか。

 

栁平: 羽田空港が再び国際空港として発展するのに伴い、その周辺地域を国家戦略特区にしようという構想が昨年8月に発表されましたね。その構想が実現すれば、大きな波及効果が期待できるので、川崎地区も大いに発展していくものと思われます。羽田から川崎・矢向まで混んでいなければタクシーで30分弱ですから、ぜひ外国のお客様にも大勢この地を訪れてほしいですね。そして、本当の日本の真髄とは何なのか、日本に縄文文化があったこと、和の原点、縄文の心を形にした「志楽の湯」を体験してほしいと思います。お互い裸になって語らい合うような温泉文化を、地域と世界を連関させて広めていく相互啓発の場にしていきたいですね。
また、矢向の駅前に一本の楠ノ木があります。世界不況の中で昭和2年(1927)に植えられ、昭和20年(1945)の戦災で付近一帯は焼け野原になりましたが、その戦災から蘇った奇跡の一本です。そのせいか、あたりには昭和の雰囲気が感じられます。これからもその雰囲気は残っていてほしい。それを世界から来た人達にも観てもらい、都会の中にもこういうところがあるのだということを理解され、楽しんでほしいと思います。

 

 

 

 

志楽ニューズレター 第十六号 2014年2月5日発行

企画:グループダイナミックス研究所

発行所:志楽ダイナミックス